4/6-4/11の日程でアメリカ・ダラスへ皆既日食を観に行ってきました。生まれて初めて皆既日食を見ることができたものの、ダラス滞在中大変な事態に遭遇しました。以下はそのレポートです(長文注意)。
はじめに
以前ブログに書いた通り、業者のツアーに参加せず、自分で飛行機とホテルを手配してのツアーでした。同行者は高校時代の天文部同級生A(イニシャルではありません)。家庭の事情で出発直前まで参加が危ぶまれていましたが何とか参加可能となりました。
宿泊先はダラスの東側に隣接するメスキート(Mesquite)という街です。この街自体が皆既食帯に含まれるので、この宿の敷地内で日食を観ました。皆既食帯のど真ん中ではありませんが、それでも皆既時間が4分1秒あります。
Googleマップより
出発!
名古屋市内に住むAを車でピックアップして4/6の昼過ぎ、中部国際空港に車で到着。そこからまずは成田へ。そして18:30、アメリカン航空のダラス直行便が離陸しました。この便はアメリカ・ウェーコやメキシコ・マサトラン、トレオンで日食観望するツアー客も乗っていてほぼ満席でした。
メスキート到着
約12時間のフライトを経て予定通りダラスに到着。日付変更線をまたいでいるので、現地時間は出発と同日4/6の16時頃です。入管ゲートはたいへんな混雑で通過に小一時間かかりました。ここからタクシーを使ってメスキートへ移動。レンタカーを借りようか迷いましたが、宿泊先に着いてしまえばほとんど移動しないのと、通行帯が日本と逆で運転リスクがあるのでタクシーを選びました。
宿泊先。見た目はきれいだが施設はかなり古い。
宿泊先はホテルというより、アメリカ映画によく出てくる「モーテル」です。サマータイムのせいで19時を過ぎてもちっとも暗くありません。このすぐ近くにあるタコスの店で晩御飯のハンバーガーを食べました。
日本の倍ぐらいのボリュームのハンバーガー&大量のフライドポテト(完食不能)
店内にはスナックや飲み物も売っていたので、翌日の朝ご飯用にパンや水も買っていきました。
大事件発生!
翌日の4/7(旅程2日目)午前10時頃、いきなり大変なことが起きました。
宿泊した部屋の扉
モーテル周りの景色を撮ろうとコンデジとスマホだけを持って部屋を出、15分ほどして3階の自分の部屋の前に戻ると、扉が少し開いていることに気づきました。元々この扉のオートロックは調子が悪く、カードを差し込んでもなかなか開かなかったり、閉めるときもドアをしっかり手前に引かないとロックがかからなかったりしました。
「あれ?しっかり閉めたつもりだったけど??」と思いつつ部屋の中に入って驚きました。外出前に組み立てたばかりの望遠鏡機材一式がこつ然と消えています。
盗難にあった機材。出発前に撮影した画像
落ち着いて室内を見回すと、床に置いてあったカメラバッグもありません。この中にはミラーレス一眼レフカメラが入っていました。そして一番ショックだったのが、パスポートやクレジットカード、現金の入っていた手持ちバッグが無くなっていたことです。私が外出していた短い時間に誰かが侵入し、金目の物をすべて奪っていきました。しかし部屋全体は荒らされた感じがありません。短い時間に効率よく金品だけを持ち出した手際の良さに驚きました。
しかし驚いている場合ではありません。私と異なる部屋でこの難を免れたAに電話をかけ、すぐに部屋に来てもらいました。Aも大変驚きました。「どうしよう?」「まずはフロントに行こう」ということで、フロントに行って状況を伝えると、フロント職員はそれほど驚いた感じもなく、従業員を一人呼んで、私と一緒に現場を確認するよう指示しました。私の室内も含めて施設内を一通り見回りましたが、有力な手がかりはありませんでした。
OFFICE=フロント
警察も呼んでほしいとフロントに頼みましたが「自分で呼んでください」とのこと。このあたりからこのモーテルへの違和感が高まってきました。こちらにとっては生涯の一大事ですが、あちらにとってはまるで「よくあること」、「当方は関係ない」といった風情です。
自分のスマホから’911’に電話をかけ、カタコトの英語で場所を伝えると、30分ほどで警官が現れました。私の名前、電話番号、盗まれたもの、などをメモると無線でどこかに連絡を取り、8桁の番号を書いたメモをくれました。事件番号だそうです。警官の対応はそれだけでした。近隣の部屋の聞き込みをするでもなく、現場の写真を撮るでもなく、まして指紋採取の鑑識班を呼ぶこともありません。おそらく彼らにとっても「よくあること」で、事情聴取して事件番号を伝えたら業務完了。いちいち捜査してたら仕事が回らないのでしょう。
問題はパスポート
盗られたものが戻ってくる可能性は限りなくゼロ。諦めるしかありません。しかしパスポートだけは困ります。これがないと帰国できません。ネットで調べてみると、アメリカ国内にある総領事館に出向いて再発行してもらわなければいけません。ダラスから最も近い総領事館は在ヒューストン日本国総領事館。ダラスから約400キロ離れています。ずいぶん距離がありますが、これでもまだ近い方です。アメリカ本土の日本国総領事館は全部で13箇所。各州に1箇所ずつあるわけではないので、運が悪ければ州を超える移動が必要です。
発行してもらえるパスポートは2種類。持っていたのと同等のパスポートと、帰国専用のパスポートです。前者は6日間ぐらい、後者は2日間ぐらい発行に時間がかかるとHPにありました。もちろん帰国専用で十分ですが、それにしても2日間かかるので、明日(4/8)の皆既日食を待たずにヒューストンへ移動しないと帰りの便に間に合いません。あるいは帰りの便をキャンセルして別便で帰国するか。この場合飛行機代がまったく戻ってきません。気持ちは半分皆既日食を諦める方向に行きかけましたが、ここで引き戻してくれたのはAでした。「せっかくここまで来たんだからもう少し粘ろうよ。少なくともヒューストンまでは付き合うから」と。
またAは現金で$500貸してくれました。クレジットカードも無いので、現金が無いとパン一つ買うことができません。
気を取り直して在ヒューストン日本国総領事館に直接電話して確認したところ、必要書類がそろっていれば1日で再発行可能とのこと。戸籍謄本とかマイナカードの写しは日本にいる家族に頼んでLINEで送ってもらい、その都度総領事館にメールで送りました。皆既日食翌日の9日早朝便でヒューストンに移動すれば朝イチで総領事館に入ることができ、その日のうちに帰国専用パスポートを手に入れることができそうです。光が見えてきました。
やはり怪しいモーテル
諸々の段取りを済ませたころに日が暮れ、歩いていける距離のレストランでAと夕飯を済ませました。いろんなことがぎゅっと詰まった怒涛の一日でした。部屋に戻って今日あった出来事を思い返すと、このモーテルがいかに危険であるかに気づきます。敷地内はいうに及ばず、各フロアは誰でも入れます。実際モーテル内ですれ違う人の半分は「近所の人?あるいは住人?」と思われる風体です。HPの案内には「ペット連れの宿泊お断り」とありましたが、ペット連れを何回も見ました。フロントにはいつ行っても正体不明の人が床に座り込んでぼおっとしていました。もちろんセキュリティカメラはありません。悪い人にとってはやりたい放題の環境です。
窃盗犯について
勝手な推測ですが、窃盗犯はここに頻繁に出入りする人間、もっといえば同じフロアの『住人』で、扉の立て付けが悪いことを熟知していて、オートロックが不完全になる機会を見計らっていたと思われます。しかも犯人は複数で、見張りをつけていたのではないでしょうか。つまり極めて計画的な常習犯というわけです。さらにいえばモーテルだってグルの可能性があります。従業員はどの部屋も開けられるカードキーを持っているので、出入りは自由です。私の落ち度は外出時、パスポートの入ったカバンを持ち出さなかったこと。これさえ心がけていれば最悪の事態を招くことはありませんでした。今となっては悔やんでも悔やみきれません。
建付けの悪いオートロックドア
また考えようによっては「窃盗」で済んでよかったです。万が一現場に出くわしたら殺されていたかもしれません。そう思うとぞっとします。この晩はあれこれいろんなことが頭に浮かびなかなか眠れませんでした。深夜になっても部屋の前を通る人の気配が絶えず、駐車場からも話し声が聞こえます。ついでに言えば部屋の中で小さいゴキブリが出ました。どんどん気持ちが萎えていきます。予定ではここでもう一泊するつもりですがとても耐えられそうにありません。
そして皆既日食当日!
ほとんど眠れないまま夜が明け、朝になってAが私の部屋に来てくれました。「このモーテルを引き払って今日のうちにダラス市内中心部のホテルへ移動しないか?」と切り出すと「実は俺もそう思っていた」と意見が一致。第3接触が終わったら早々に撤収してこのモーテルを出ることに決めました。
お昼前、外を見るとそこそこ雲はあるものの、ある程度期待できそうな空。第1接触は12時過ぎなので、その前に腹ごしらえをしておこうと、一日目の夕飯を食べたタコスの店に出かけることにしました。するとモーテル敷地内の芝生エリアに望遠鏡を設置している20名ぐらいの中華系の団体を発見。話しかけてみると台湾から来たとのこと、昨晩駐車場で見かけた大型バスでこのモーテルに来たようです。お願いして一緒に観望させてもらうことにしました。
モーテルの敷地内で日食観望
実は盗まれたものとまったく同じ構成の機材をAに渡してありました。貴重な皆既時間を無駄にしないようそれぞれの機材で観望に専念しようという狙いです。しかしこういう状況になってしまったので、1台の機材をふたりでシェアしながら見ることにしました。
芝生に設置した日食観望機材
12:23、いよいよ第1接触です。タイムキーパーはスマホアプリの’ECLIPSE 2.0’を使いました。
ECLIPSE 2.0の起動画面
雲は多めですがときどき太陽が顔を出し、その都度ソーラーフィルターを付けた望遠鏡で欠けていく様を観望しました。第1接触から皆既が始まる第2接触まで1時間17分ありましたが、時間の進みは意外と速く、あっという間に第2接触の時刻が近づいてきました。食分が90%を超えると周りははっきりと暗くなり、まるで日没後の光の加減です。そして日没を早回しで見ているようにどんどん暗くなっていきます。何というワクワク感!
スマホによるコリメート撮影
そして第2接触!
13:40:57、ついに皆既が始まりました。とてもラッキーなことに、皆既中の太陽が雲と雲の大きな切れ目に入りました。ダイヤモンドリングがばっちり見えました。フィルターを外した望遠鏡で見るとコロナの流線がよく分かります。コロナがこんなに明るいとは知りませんでした。写真では味わえないコロナの輝きです。月の影からはみ出た真紅のプロミネンスがいくつも見えました。肉眼で見ても、天空に浮かんだ黒い穴から全周に渡って光が溢れ出し、神々しいまでの光景です。はじめての日食観測でいきなり観測成功!なんという幸運!昨日の嫌な出来事を差っ引いても来てよかったと思いました。
あっという間の4分間でした。13:44:58、数秒間ダイヤモンドリングを我々に見せて太陽は再び本来の光を取り戻し始めました。思わず拍手をすると、同じように拍手をする台湾の人たちが何人もいました。
このまま第4接触まで見届けて余韻を楽しみたいところですが、そんな余裕はありません。部屋に戻って出発の準備にかかりました。
まずはダラス空港へ
来たときと同じようにダラス空港へ戻るときもタクシーを使いました。タクシーを呼んでからモーテルに迎えに来るまで小一時間待たされました。空港に着くとすでにチケットカウンターは多くの客でごった返していました。
ここでひとつ心配なことがありました。明日早朝出発するヒューストン行きの飛行機チケットを買うつもりでここへ来ましたが、総領事館の方から「アメリカ国内線といえどもパスポートがないと乗れないかもしれない」と言われていました。
そしてその心配は現実のものとなりました。長い列を我慢してチケットカウンターまでたどり着いて空港職員にこの点を確認すると、「私ではわからない」と言ってTSA(Transportation Security Administration アメリカ運輸保安局)の担当者を呼んでくれました。この人たちがOKといえば飛行機に乗れるし、NOだったら乗れないことになる空港関所の番人です。このTSAの担当者も”Mmmmm”と言って難しい顔になり、審査には最低でも2時間かかる、その結果搭乗を拒絶する場合もあるとのことでした。
飛行機に乗れさえすればヒューストンまで1時間ぐらいなので、早朝のフライトでヒューストン入りすれば朝イチで総領事館に行けます。これが予定の飛行機で帰国するためのシナリオです。しかし今から審査を受け、しかも乗れないとなると、その予定はかなり危ういものになります。
あらためてGoogleマップで確認すると、ダラスからヒューストンまで車で4時間と出ました。それなりの距離ですがこれが最も確実な方法です。運転リスクはありますが、Aも私も一応海外免許を持ってきているので車の運転は可能です。私の海外免許は別の荷物と一緒にしてあったので奇跡的に無事でした。「4時間なら頑張れば行けるかなぁ」とAと相談して車で行く覚悟を決めました。
レンタカーでヒューストンへ
なんだかんだでいろいろな手続きにずいぶん時間がかかり、レンタカーでダラス空港を出たのは夜の8時頃でした。Aは20年ほど前、仕事の関係でアメリカに2年間いたので一応右側通行、左ハンドルの経験があります。ずいぶんブランクはありますが、ド素人の私よりはましなので、まずはAの運転でフリーウェイに入りました。
私も途中替わって運転をしてみて分かったのですが、慣れない左ハンドルでレーンの真ん中を走るのはとても難しいです。右ハンドルの感覚でレーンの真ん中をキープしようとすると、実際にはずいぶん右に寄っていて、Aも私も、気がついたら右側の白線を踏んでいました。しかも雨で路面が濡れていてレーンが見づらく、かなり怖い思いをしてなんとかヒューストンにたどり着きました。時刻はすでに夜中の1時を回っていました。
先に総領事館のあるビルの位置を確認し、それから宿泊先を探すことにしました。このエリアにはホテルがたくさんあり、一軒目は「満室」と断られましたが、二軒目のホテルでダブルの部屋を確保することができました。
ヒューストンで一泊したホテル。天文ファンにとっては意味深な名前
フロアには宿泊客しか立ち入れず、オートロックもスムーズに閉まる、当たり前のことに感激しつつ、短い時間ながらも久しぶりによく眠れました。
在ヒューストン日本国総領事館
総領事館が開くのは朝の9時半。それまでに証明写真を用意しなければいけません。少し早めに私だけチェックアウトして、Googleマップで探した証明写真を撮ってくれるショップに向かいました。ここは日本のような無人のボックスではなく、店員が撮影するスタイルでした。
総領事館は商業ビルの30階にありました。それほど大きくありません。入口に空港の保安のような荷物検査と金属探知ゲートがありましたが、それ以外は日本によくある「小さい役所の窓口」といった感じです。いずれにしてもパスポートを盗られるようなトラブルがなければ縁のない場所です。
前もって来訪は伝えてあったので、名前を告げるとすぐに職員の方が親切に対応してくれました。ここでしか書けない書類を2枚、時間をかけて記入してから提出すると「これですべての書類が揃いました。午後3時頃帰国専用パスポートを渡しますから、その時間になったらまた来てください」とのことでした。「ついに帰れる!」ここまでの緊張が一気に解ける瞬間でした。
11時頃、ホテルで寝ているAに連絡を取り、再びAと合流。「アメリカでまともな食事ができるのはたぶんこれが最後。豪勢に行こか」と、ヒューストン市内にあるBenihana(ベニハナ) というアメリカでは有名なステーキハウスに行きました。
ラテン系の女性が愛嬌たっぷりに肉や野菜を焼いてくれました
その後3時まで商業ビル内のスタバで時間を潰し、再び30階の総領事館を訪れてついに帰国専用パスポートを受け取ることができました!ヒューストンまで来た努力が実りました。
これが帰国専用パスポート
帰国便のフライトは明朝6時出発。それまでにダラスに戻ればよいので楽勝です。それでも万が一のことを考えて、この日のうちにダラスに戻ることにしました。
帰路はまだ明るく、雨も上がっていたので来るときよりも運転がずいぶん楽でした。レーンキープもずいぶん慣れてきました。当然ながら周りの車もほとんどがアメ車。やんちゃな人に囲まれているような錯覚を覚えながらの運転でした。
途中給油もしました。ここで少しハプニング。給油口の開け方が分かりません。Aと二人で15分ほど運転席周りをくまなく探しましたが、それらしいレバーが見つかりません。ダメ元でガソリンスタンドの店員にも聞きましたがやはり分からず。もしやと思ってGoogleで「シボレー 給油口」と検索したら「レバーはない、直接開ける」とありました。「えっ?」と思って給油口の端を押したらあっさり開きました。いたずらされたらどうするんだろうと思う仕様でしたが、とりあえず開いてよかったです。
借りたクルマはシボレー
そんなこんなんで夜の10時近くにダラス空港へ無事到着。レンタカーを返して空港ロビーに入りました。もう大丈夫。あとは飛行機に乗るだけです。空港ロビーの空いている席で仮眠しながら夜を明かしました。
ついに帰宅!
4/10早朝6時、ダラス空港を帰国便が離陸。ロサンゼルス、羽田を経由して4/11の21時頃中部国際空港に着きました。本来ならここに止めてある車で帰るところですが、今回車のキーも盗られているので電車で帰宅しました(車は翌日電車で中部国際空港まで取りに行きました)。荷物の軽さが虚しかったです。
ロサンゼルス空港にて
この数日を振り返ると、よくぞ無事予定通り帰ってこられたものです。すべてが紙一重でした。 もしも殺されていたら、 もしもAがいなかったら(実際その可能性はありました)、 もしも日本に家族や知人がいなかったら、 もしもスマホまで盗られていたら、 もしも総領事館がとてつもなく遠かったら、 もしもヒューストン往復で事故っていたら、 もしもダラス観光日を設けてなかったら(その日をダラス往復に充てました)、、、 今だ帰国できずにいたかもしれません。最悪の事態が発生したにも関わらずその後はツイてました。またヒューストン往復まで付き合ってくれてAには感謝のことばしかありません。
おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございました。日食の話よりパスポートを盗られた話がほとんどで申し訳ありません。パスポートを盗られるとどんなに大変か、今回のことでよく分かりました。そのことでAをはじめ、多くの人に迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳なく思っています。
この話は武勇伝でもなんでも無く、治安の良い日本と同じ感覚で外国に出かけるとどういう目に合うかという見本のような話です。
「次回外国へ行くときは気をつけます」と言いたいところですが、当分(あるいは一生)外国へ行く気になれません。平和ボケしている私にとって滞在中ずっと気を張ることは強いストレスになるからです。
幸い1回目にして皆既日食を見ることができました。一昨年はオーストラリアで星も見ました。今回が最後の海外ツアーとなっても悔いはありません。